商売繁盛

玄関先には靴がいっぱい
商売繁盛・・・

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谷中


Contax RTSⅢ Distagon25

此処も軒先が気になる
明り取りらしい
ドアも木製のままだし
ドアの鈴もエエ感じ
「ざる」はヨウワカランが
判らんなりにもなんか似合っている

商売繁盛しているな
暫くは此処は残りそうだワイ

思ったのに~

此処も
この写真が遺影となってしまいました

合掌





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by GG-1 | 2006-11-23 01:04 | 建物・街歩きなど | Comments(29)
Commented by MUSUCARI at 2006-11-23 01:10
あ、お医者さんの玄関といえば これこれ♪
私の場合は子供の頃に言った眼科(「めいしゃさん」)がこんな感じでした。
消毒の匂いまで思い出されます。
Commented by GG-1 at 2006-11-23 01:16
>MUSUCARI様
こんな感じの玄関先は
お医者さんでは全国共通なんですかねぇ
私の子供時分にかよった近所のじいちゃんの歯医者さんの玄関先もこんな感じでした
Commented by neon at 2006-11-23 10:11 x
南無合掌識
新しくどういうのができてしまうのだろう。。。ざるだけでも復帰してくれないかなぁ。ここの三角地は江戸切り絵図にも表記がある場所なんですよね。
Commented by カーク at 2006-11-23 23:32 x
今日はおつかれさまでした〜。
電気屋さんと向い合わせでいい味出していたのに、残念ですね〜。
裏に廻るとneonさんがおっしゃるとおり見事なまでの鋭角の三角地、
また、撮りたいと思っていたら、なくなりましたか〜。
Commented by Aria at 2006-11-24 19:05 x
山奥の町や村に写真を撮りに行くと、似たような病院を、こちらでは今でも見かけますよ〜。
私の住んでいる町も、昔は診療所の入り口がこんな感じでした。
これを見るとなんだかホッとします。
Commented by trial05 at 2006-11-24 21:25
こんばんは~。ご無沙汰でした~。
あるある、こ~ゆ~医院・・・。京都にも大阪にも。 そうだっ、撮らなくちゃー!^^
「ざる」は、なんだろう~? 「ヨウワカラン」ですか・・・。
なんじゃ、よう分からん って? (^^)
Commented by GG-1 at 2006-11-25 12:51
>neon様
南無~
そんな昔からの町並みでしたか
ちょぼちょぼと順繰りに建て換わっていっているのでしょうね
とはいえ
特徴的なモノが消えるのはやはり寂しいモンです
Commented by GG-1 at 2006-11-25 12:54
>カーク様
はい、昨日はお疲れ様で御座いました
私は玄関しか撮っていないのですよ
後日、全景を撮ろうと思っているうちに無くなってしまいました
何時ものパターンです
Commented by GG-1 at 2006-11-25 12:56
>Aria様
そちらでは健在ですか
なんとのう喜ばしいなあ
そうそう
「病院」と呼ぶより「診療所」のほうがシックリきますね
Commented by GG-1 at 2006-11-25 12:58
>trial05様
どうもどうも
そうですよ。今撮っておかないと何時の間にやら無くなってしまいますよ

ヨウワカランもんはヨウワカラン
と言いたいところですが
どうやら「ざる」は郵便受けのようです
エエわ~
Commented by 丸山育子 at 2010-12-18 12:43 x
此処は以前のうちの医者用の玄関普通の出入りにも使っていました 泣きたいほど懐かしい ざるを提げたのは私です
Commented by 丸山育子 at 2010-12-18 13:30 x
手鼻さなかったほうよかったのと後悔もしていますがあとのまつり半世紀以上住んでいたのですから 根津にいっ手も前の家の前は余りとうりたくありません四世代渡り住んでいたのですから谷根千の方々や芸大の建物保存の方々残そうと応援してくださったのですが期待を裏切ることになってしまってゴメンナサイ
Commented by GG-1 at 2010-12-21 16:33
>丸山育子様
コメント有難う御座います
住人の方でしたか
いろんな事情があるでしょうから仕方が無いですね
好きで手放す人は居ないでしょうから
Commented by 丸山育子 at 2011-01-11 20:43 x
この家は昔は東館という下宿屋でした中庭があり周りは廊下で一周出来るのが面白く自慢でした自慢の大きな二メートル位あつた石と十数体のお地蔵様は弥生美術館美術館の庭にあります
Commented by GG-1 at 2011-01-12 18:21
>丸山育子様
中庭がありましたか
外から見えないので知りませんでした
元下宿屋っていうのも初耳です
Commented by 丸山育子だ at 2011-01-13 20:05 x
この家は随分人助けをした家です戦争中山形に疎開したそうですが
ばあやと呼んでいた人一人を残して其の間に10世帯位の人が入りこんで出ていって貰うのが大変だったと祖父が言うのを聞きましたそういえば私の小さい頃は沢山の人が住んで居ました
Commented by 丸山育子 at 2011-01-13 20:36 x
先ほどの二メートル程の中庭の石ですが父徳四郎が買ってきたのですがいぜん画家のアランウエストさんがいらした時水を石に書けた状態の色がとてもいいと褒めてくださいましたそれとお地蔵様は母が一つの石に十数体彫って貰い毎月12日をお地蔵様の日としておまつりしていました六地蔵は良くあるのですが十数体の地蔵は珍しいそうです
Commented by 丸山育子 at 2011-01-14 08:01 x
父は医者でしたが昔森永粉ミルク砒素事件と言うのがあってそれにヒントを得て砒素の解毒作用の研究で博士号を採りました
盲腸の手術は切り口が小さいので女性に喜ばれました
Commented by 丸山育子 at 2011-01-14 08:45 x
絵が好きで家の部屋中の襖に自己流の絵を描いていました売れているのか居ないのかと言うような絵描きさんが何時も2-3人はきたりしていましたモデルやの主人もやってきてまか不思議な軟膏や富士山の絵を描いたといってはもってきて父に見せていました私が結うのもなんですが母は大変な美人で私ももう少し似ればよかったと思いました母は文化服装学院の出身で私は何時も母の手作りの服をきていました
医者の姉や薬剤師のあねたちわ社交ダンスの練習を家でしたり私は櫻蔭中高から武蔵野音大で声楽を専攻して自分で言うのもなんですがちょっと文化的なサロンの香りのする面白い家でした
Commented by GG-1 at 2011-01-14 23:44
>丸山育子様
と言うことは下宿屋は戦前からあったということですね
その時代はどうなっていたのか見てみたいです
Commented by 丸山育子 at 2011-01-17 11:23 x
この辺りはあいそめ川に近く漱石の三四郎の舞台になったところのあたりです家の後ろは見事な鋭角の三角形で前の道は江戸切絵図にも残っていますいまとなっては祖父祖母父母姉の亡くなつた今となっては誰に聞いたら良いかわかりません色々な文学者や絵描きの卵も住んでいたかも知れません
Commented by 丸山育子 at 2011-01-17 15:16 x
何しろ部屋数が多くありましたから父の時代には病室としてつかっていましたいつだったか横山大観の奥さんだったかも知れませんうつくしい
桜の花の屏風を背にして紫の鉢巻をする姿が少し見えました私は其の時歌舞伎だけでなく本当に紫の鉢巻をする事をしりました
Commented by 丸山育子 at 2011-01-17 16:20 x
昭和4年か5年頃に東館改修工事の設けいずがあったと思いましたが
と言うことはそれ以前からあったと言う事でしょう
Commented by 丸山育子 at 2011-01-17 16:52 x
家の向かいの家も鉄道弘済会の寮でりっぱないえでした田中さんのおば様と言うお茶の水を出た方が管理をしていらっしゃいました
Commented by GG-1 at 2011-01-17 23:29
>丸山育子様
情報有難う御座います
Commented by 丸山育子 at 2011-01-26 14:16 x
ちょっと言い忘れて居た事が有るので追記して置きますがこの医院の建物は私が小学校の3-4年生のころ全体の床を上げて大改築をしました
Commented by GG-1 at 2011-02-04 22:17
>丸山育子様
同じ文句ですみませんが
情報ありがとうございます
Commented by 丸山育子 at 2011-02-27 22:57 x
追伸玄関のベルをつけたのも私です是はカウベルかも知れません
Commented by GG-1 at 2011-03-02 18:40
>丸山育子様
開けっ放しだったので
ベルの音は聴いていないです
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